はじめに
- 下腹部がずっと苦しい
- 生理ではない時にも骨盤の奥が痛む
- 腰やお尻,鼠径部まで痛みが広がる
- 婦人科で検査を受けたけれど,痛みを十分に説明できる異常が見つからなかった
このような骨盤周辺の痛みが長期間続いている状態を,広く慢性骨盤痛(Chronic Pelvic Pain:CPP)と呼びます.
「骨盤の痛み」というと,女性では子宮や卵巣などの婦人科疾患を最初に思い浮かべることが多いかもしれません.
しかし,慢性骨盤痛は必ずしも婦人科疾患だけで起こるとは限りません.
実際には,
婦人科系+泌尿器系+消化器系+筋骨格系+神経系+慢性疼痛の仕組み
などが複雑に関係していることがあります.
そのため,「どこか一か所に原因を見つければ解決する」とは限らないのが慢性骨盤痛の難しいところです.
慢性骨盤痛とは?
慢性骨盤痛は,一つの病気の名前ではありません.
骨盤や下腹部周辺に長期間にわたって痛みや不快感が続いている状態を表す言葉です.
例えば,
- 下腹部の痛み・重苦しさ
- 骨盤の奥の痛み
- 腰や仙骨周辺の痛み
- 臀部や鼠径部の痛み
- 会陰部の痛み
- 排尿・排便に伴う痛み
- 性交時の痛み
- 月経に伴って増悪する痛み
など,症状の現れ方は人によって大きく異なります.
さらに痛みが長期間続くと他の慢性疼痛と同様に,不眠,疲労感,不安,気分の落ち込みなどを伴うことがあります.日常生活や仕事,家事などに支障をきたすこともあります.
慢性骨盤痛は「婦人科疾患だけ」ではありません
慢性骨盤痛を理解するうえで,ぜひ知っておいていただきたいことがあります.
それは,
「骨盤が痛い=子宮や卵巣に原因がある」とは限らない
ということです.
慢性骨盤痛には,大きく分けて次のような病態が関係します.
① 婦人科系
代表的なのが,
- 子宮内膜症
- 子宮腺筋症
- 子宮筋腫
- 骨盤内炎症性疾患
- 骨盤内癒着
などです.
なかでも子宮内膜症は慢性骨盤痛との関連が非常に強い疾患です.
月経痛が年々強くなる,月経時に排便痛がある,性交時に骨盤の奥が痛む,月経以外にも骨盤痛が続く,といった場合には婦人科疾患について調べる必要があります.
② 泌尿器系
意外に多いのが,膀胱を中心とした痛みです.
代表的なのが,
膀胱痛症候群(間質性膀胱炎を含む)
です.
膀胱に尿がたまると痛い,排尿すると少し楽になる,頻尿や尿意切迫感を伴う,といった特徴がみられることがあります.
慢性骨盤痛では,子宮内膜症と膀胱痛症候群が特に頻度の高い関連病態とされています.
研究によって数字は異なりますが,慢性骨盤痛患者の60~70%程度に子宮内膜症または膀胱痛症候群のいずれかが関係し,両方を併せ持つ患者も少なくないと報告されています.
③ 消化器系
腸の症状が骨盤痛として感じられることもあります.
特に多いのが,
過敏性腸症候群(IBS)
です.
腹痛,便秘,下痢,腹部膨満感などを伴い,排便によって痛みが変化することがあります.
IBSも慢性骨盤痛患者の少なくとも約20%以上で認められる代表的な併存疾患とされています.
そのほか,炎症性腸疾患,憩室炎などの消化器疾患でも骨盤周辺に痛みを感じることがあります.
④ 筋肉・筋膜・関節などの筋骨格系
ここは非常に重要であるにもかかわらず,患者さん自身が「内臓の痛み」と考えているため,見落とされやすい領域です.
例えば,
- 骨盤底筋の過緊張
- 骨盤底筋の圧痛
- 腹部・腰部・臀部の筋膜性疼痛
- 腰痛
- 股関節周囲の問題
- 仙腸関節周辺の痛み
- 筋膜性トリガーポイント
などです.
慢性骨盤痛患者では,骨盤底筋の圧痛も少なくとも約20%以上に認められるとの報告があります.
さらに重要なのは,これらが単独で存在するとは限らないことです.
例えば,
子宮内膜症
↓
長期間の骨盤痛
↓
痛みに対する防御的な筋収縮
↓
骨盤底筋・腹筋・臀筋などの過緊張
↓
筋膜性疼痛
↓
さらに骨盤痛が続く
というような「悪循環」が成立する可能性があります.
つまり,最初は婦人科疾患から始まった痛みであっても,数年後には「子宮内膜症だけでは説明できない痛み」になっていることがあるのです.
⑤ 神経障害性疼痛
頻度は前述の病態ほど高くありませんが,神経が関係する骨盤痛もあります.
例えば陰部神経などの神経障害や,手術後の神経障害性疼痛などです.
「焼けるように痛い」「電気が走る」「しびれる」「特定の姿勢で悪化する」といった症状が手掛かりになることがあります.
慢性骨盤痛の構造を図にすると
慢性骨盤痛は,おおよそ次のようなイメージで考えると分かりやすいでしょう.

そして痛みが長期化すると,
痛みの長期化
↓
筋緊張・活動量低下・睡眠障害など
↓
痛みに対する感受性の変化
↓
さらに痛みが持続
という慢性疼痛特有の要素が加わることがあります.
したがって,「原因は子宮なのか、膀胱なのか、筋肉なのか」と一つだけを探すより,複数の痛みの発生源が重なっていないかを見ることが重要になります.
「検査で異常なし」でも痛みが存在しないわけではありません
慢性骨盤痛では,
「婦人科で検査を受けましたが,大きな異常はありませんでした」
という方もいます.
実際,慢性骨盤痛を調べるために腹腔鏡検査を行っても,約3分の1~半数では明らかな原因が見つからないと報告されています.
しかし,
「原因が見つからない=痛みが存在しない」
ということではありません.
画像検査では分かりにくい筋膜性疼痛や骨盤底筋の問題が関係していることもありますし,長期間痛みが続くことで,末梢神経・脊髄・脳を含めた痛みの情報処理そのものが変化している可能性もあります.
現在では,明らかな局所病変だけでは説明できない慢性骨盤痛についても,慢性疼痛の一つとして考えるようになっています.
慢性骨盤痛に対して鍼灸は何をするのか?
ここで大切なのは,
「鍼灸で子宮内膜症や膀胱の病気を治す」
と考えないことです.
原因となる疾患がある場合,その疾患の診断と治療が基本になります.
子宮内膜症なら婦人科,膀胱痛なら泌尿器科,腸疾患なら消化器科というように,必要な医学的評価を受けることがまず重要です.
そのうえで鍼灸では,慢性骨盤痛を構成している
- 腰部の痛み
- 仙骨周辺の痛み
- 臀部の筋緊張
- 股関節周辺の緊張
- 腹部や骨盤周辺の筋膜性疼痛
- 慢性的な筋緊張
- 痛みに伴う睡眠の問題
などに目を向けていきます.
特に筋骨格系の要素が加わっている慢性骨盤痛は,鍼灸が関わる意味を考えやすい領域だと思います.
痛む場所だけに鍼をするとは限りません
慢性骨盤痛だからといって,骨盤周辺だけを施術すればよいとは限りません.
例えば臀部の筋肉,腰部,仙骨周囲,股関節周囲,下肢などを評価していくと,強い筋緊張や圧痛がみられることがあります.
そのため,
「骨盤が痛いから骨盤だけを治療する」
のではなく,
「骨盤痛を形成・増悪させている身体の要素を探して施術する」
という考え方が重要になります.
「自律神経を整えれば治る」と単純化しない
慢性骨盤痛について「自律神経の乱れが原因です」と説明されることがありますが,それだけで慢性骨盤痛を説明することはできません.
一方,
痛い
↓
身体が緊張する
↓
眠れない
↓
疲労する
↓
活動量が低下する
↓
さらに痛みを感じやすくなる
という悪循環は十分考えられます.
鍼灸では「自律神経を治す」というよりも、痛みや筋緊張,睡眠など,痛みを維持・増幅させている要素を一つずつ減らしていくという考え方の方が現実的でしょう.
また,本来なら痛みとして感じない程度の刺激でも,脳や神経が過敏になることで痛みとして感じてしまうことがあります.鍼灸には,そうした過敏な状態を落ち着かせる作用が期待されています.
痛みをゼロにすることだけが目標ではありません
慢性疼痛では「完全に痛みをなくす」ことだけを目標にすると,治療が難しくなる場合があります.
例えば,
- 以前より長く座れるようになった
- 仕事の後の骨盤の重苦しさが軽くなった
- 痛みで目が覚めることが減った
- 痛みはあるけれど外出できるようになった
- 痛みを意識しない時間が増えた
こうした変化も重要な改善です.
慢性骨盤痛では,痛みの強さだけではなく,日常生活をどの程度取り戻せたかという視点も大切になります.
まず医療機関で確認することが大切です
骨盤周辺の痛みには,医療機関での診断・治療が必要な病気が隠れていることがあります.
特に,
- 突然の強い腹痛・骨盤痛
- 発熱を伴う
- 不正出血
- 血尿・血便
- 急激な体重減少
- 痛みが急速に悪化している
- 閉経後に新しく出現した骨盤痛
などがある場合には,鍼灸よりも先に医療機関を受診することが重要です.
慢性的な痛みの場合でも,婦人科,泌尿器科,消化器科などで必要な検査を受け,治療すべき疾患が隠れていないかを確認しておくことをお勧めします.
また,慢性骨盤痛そのものと妊孕性との単純な関連については明らかではありません.しかし,慢性骨盤痛の原因によっては妊孕性に影響する場合があります.特に子宮内膜症や骨盤内炎症性疾患などでは,慢性骨盤痛と不妊が関連することが知られています.
そのため,妊娠を希望している方や将来の妊娠について不安がある方は,婦人科での評価を受けることも重要です.
慢性骨盤痛は「一つの原因を探す」だけでは解決しないことがあります
慢性骨盤痛の特徴を一言で表すなら,
「複数の要因が重なっていることが珍しくない痛み」
と言えるでしょう.
子宮内膜症がある.
さらに膀胱症状もある.
便秘やIBSもある.
腰痛や骨盤底筋の緊張もある.
そして何年間も痛みが続いたことで,慢性疼痛としての性質も加わっている.
こうした患者さんを,「婦人科の病気」「筋肉の問題」「自律神経の問題」のどれか一つに当てはめることには無理があります.
医療機関で必要な検査や治療を受けながら,運動,睡眠,生活習慣,必要に応じた心理的サポートなどを組み合わせていく.
そして鍼灸も,その中の一つの選択肢として利用する.
「慢性骨盤痛そのものを鍼灸で治す」のではなく,痛みを構成している要素のうち,
鍼灸で対応できる部分に介入する.
そのように考えることが,慢性骨盤痛に対する鍼灸の現実的な位置づけではないでしょうか.

