はじめに
体外受精や顕微授精で胚移植を終えたあと,
「なるべく動かない方がいいのでは?」
「仕事を休んで安静にした方がいい?」
「歩いたら胚が出てしまわない?」
「運動すると着床しにくくなる?」
と心配される方は少なくありません.
せっかく移植した大切な胚ですから, できるだけ着床しやすい環境を作りたいと考えるのは自然なことです.
しかし現在では, 胚移植後に特別な安静を続ける必要はなく, 激しい運動などを避ければ, 基本的には普段どおりの生活をして構わないと考えられています.
むしろ, 「着床するまで動かないようにしよう」と過度に安静にする必要はありません.
胚移植後に歩いても大丈夫?
胚移植を控えた患者さんからよく聞かれるのが,
「歩いたり立ったりすると, 胚が子宮から出てしまいませんか?」
という質問です.
結論から言えば, 普通に歩いたり, 立ったり, 座ったりすることで胚が子宮から落ちてしまうことはありません.
子宮は空洞の容器のような単純な構造ではありません.
胚移植では, 細いカテーテルを使用して子宮内の適切な位置に胚を戻します. その後に立ち上がったからといって, 重力によって胚が下に落ちてしまうわけではありません.
トイレに行くことも問題ありません.
「移植した胚を動かさないために寝ていなければならない」と考える必要はないのです.
胚移植後の長時間の安静は必要ありません
以前は, 胚移植後にしばらくベッド上で安静にすることが行われることもありました.
しかし現在では, 胚移植後の安静によって妊娠率が高くなるという明確な根拠はありません.
そのため, 移植後に長時間横になったり, 帰宅後もベッドや布団で過ごしたりする必要はありません.
クリニックから特別な指示を受けていなければ, 移植後は通常の生活に戻って構わないと考えてよいでしょう.
むしろ普段どおりに生活しましょう
私は患者さんにも,
「激しい運動を避ければ, 基本的にはいつもどおり生活してください」
とお話ししています.
例えば,
- 普通に歩く
- 買い物に行く
- 電車やバスで移動する
- デスクワークをする
- 軽い家事をする
- 階段を上り下りする
- 入浴やシャワーをす.
- 普段どおり睡眠をとる
といった日常生活について, 過度に神経質になる必要はありません.
移植後だからといって, 一日中横になって過ごす必要はないのです.
ただし, 激しい運動は避けましょう
「安静は必要ない」といっても, 移植直後から何をしてもよいという意味ではありません.
特に採卵後間もない場合には, 卵巣がまだ腫れていることがあります.
その状態で激しい運動をすると, 腹部の痛みや不快感が生じたり, まれではありますが卵巣捻転などの問題につながったりする可能性があります.
そのため,
- ランニング
- 激しい筋力トレーニング
- ジャンプを繰り返す運動
- 強度の高いスポーツ
(心拍数や筋力に大きな負荷をかける息が切れるほどのスポーツ) - 腹圧が強くかかる運動
- 身体を激しくひねる運動
などの激しい運動は控えた方がよいでしょう.
一方で, 散歩などの軽い運動まで禁止する必要はありません.
「動かない」のではなく, 無理をしない範囲で普通に動くという考え方がよいでしょう.
仕事は休んだ方がいい?
これもよく受ける質問です.
デスクワークや一般的な仕事であれば, 胚移植をしたという理由だけで仕事を休む必要は通常ありません.
仕事をしていること自体が着床を妨げるわけではありません.
ただし,
- 重い物を繰り返し持つ仕事
- 激しい身体活動を伴う仕事
- 長時間にわたって身体的負担が大きい仕事
などの場合には, 一時的に仕事内容を調整した方がよい場合があります.
また, 移植後はホルモン剤などの影響によって眠気や倦怠感を感じる方もいます.
「移植したから休む」のではなく, 自分の体調に合わせて無理をしないことが大切です.
胚移植後に大切なのは「完璧な生活」ではありません
妊活中の患者さんをみていると, 胚移植後に非常に慎重になる方がいらっしゃいます.
食べ物, 運動, 入浴, 睡眠, 姿勢など, 一つ一つの行動について,
「これをしたから着床しなかったらどうしよう」
と考えてしまうことがあります.
しかし, 着床はそのような単純なものではありません.
胚側の要因, 子宮内膜の状態, ホルモン環境など, 多くの要素が関係しています.
日常生活のちょっとした動作によって着床の成否が決まるわけではありません.
移植後は何か特別なことをするというよりも,
よく食べ, よく眠り, 適度に身体を動かし, 普段に近い生活を送る
ことを心がけていただきたいと思います.
判定日までの期間は精神的にも長く感じます
胚移植から妊娠判定までの期間は, 妊活治療の中でも特に長く感じる時期かもしれません.
少しお腹が痛いだけで,
「着床したのかな?」
逆に何も症状がなければ,
「今回も駄目なのかな?」
と考えてしまうことがあります.
しかし, 移植後の自覚症状だけで着床しているかどうかを判断することはできません.
黄体ホルモンなどの薬によっても, 眠気, 胸の張り, 腹部の違和感などが現れることがあります.
症状を一つ一つ「妊娠のサイン」と結びつけすぎず, 判定日まではできるだけ普段の生活を続けることをおすすめします.
胚移植後も鍼灸を続けてよいのでしょうか?
胚移植後も, 体調管理を目的として鍼灸を継続することは可能です.
当院では不妊に対する鍼灸を, 「採卵周期だから鍼をする」「着床周期だから特別な鍼をする」といった短い期間だけで考えていません.
もう少し長い時間軸で, 生殖医療を受けながら, より妊娠しやすい身体の状態を目指して継続的に体調を整えていくことを大切にしています.
その背景には, 人の身体にはそれぞれ長年にわたって形成された傾向があり, それは数回の鍼灸によって急激に変化するようなものではない, という考えがあります.
例えば, 冷えやすい, 疲れやすい, 睡眠が浅い, 緊張しやすい, 月経に伴う不調が強いといった身体の傾向は, 一度の採卵や胚移植が終わったからといってリセットされるものではありません.
そのため当院では, 胚移植を一つの大切な節目として考えながらも, そこで鍼灸を中断する必要はないと考えています.
もちろん,
「移植直後に鍼をすれば着床する」
「このツボを使えば妊娠できる」
というものではありません.
鍼灸によって妊娠成立を保証することはできませんし, 胚移植後に特別に強い刺激を加える必要もありません. その時の体調を確認しながら, 適切な刺激量で施術を行います.
また, 妊活では残念ながら, すべての胚移植が妊娠につながるわけではありません.
もし今回の移植が残念な結果になった場合にも, 身体はそのまま次の治療へと続いていきます.
次の採卵や移植に向けて治療を再開するときになって, そこから慌てて身体を整え始めるのではなく, 移植後から判定日までの期間も普段どおり体調管理を続け, 必要になったときにスムーズに次の治療へ移れるようにしておく.
私はそのような長期的な視点で, 不妊治療に鍼灸を取り入れることをおすすめしています.
これは胚移植後の生活についても同じです.
移植したからといって一日中安静にする必要がないように, 鍼灸についても「移植したから何もしない」という特別な期間を設ける必要はないと考えています.
激しい運動を避けながら普段どおり生活し, 普段どおり食事をとり, 睡眠をとり, そして必要であれば普段どおり鍼灸を受ける.
胚移植後だけを特別な期間として切り離すのではなく, 妊活という長い経過の中の一つの過程として考えること.
それが当室の不妊鍼灸に対する基本的な考え方です.
なお, 不妊治療クリニックから生活や運動, 鍼灸などについて個別の指示を受けている場合には, 主治医の指示を優先してください.
こんな症状がある場合はクリニックへ相談してください
通常の生活で問題ないとはいっても, 移植後に体調が大きく変化した場合には注意が必要です.
特に,
- 強い腹痛.
- 腹部の張りが急に強くなった.
- 出血量が多い.
- 息苦しさがある.
- 吐き気や嘔吐が強い.
- 急激に体重が増えた.
- 尿量が明らかに減った.
- その他, 普段とは違う強い症状がある.
といった場合には, 自己判断せず, 不妊治療を受けているクリニックへ連絡してください.
採卵後の場合には, 卵巣過剰刺激症候群などにも注意が必要です.
まとめ
胚移植後は,
「安静にしなければ着床しない」という考え方をする必要はありません.
激しい運動や身体への大きな負担は避けながら, 基本的には普段どおり生活して構いません.
歩いても大丈夫ですし, 家事や仕事も通常の範囲で行えます.
そして何より,
「自分が何かをしたせいで着床しなくなるのではないか」
と必要以上に心配しないことです.
胚移植後は, 特別なことをする期間というよりも, 無理をせず, できるだけいつもの生活を続けながら判定日を待つ期間と考えてみてください.
ただし, 採卵後の卵巣の状態や治療内容は患者さんによって異なります. 不妊治療クリニックから個別の指示がある場合には, 必ずその指示を優先してください.

