はじめに
妊活中の血液検査で,
「抗TPO抗体が陽性です」
「抗サイログロブリン抗体が出ています」
「橋本病の可能性があります」
と言われ,驚いた経験はありませんか?
「橋本病」と聞くと,
「甲状腺機能が低下しているの?」
「妊娠しにくくなるの?」
「流産しやすいの?」
と心配になるかもしれません.
しかし,ここでまず知っておきたい大切なことがあります.
それは,
橋本病と甲状腺機能低下症は、同じものではない
ということです.
橋本病があっても甲状腺ホルモンが正常に保たれている人は多くいます.
一方,妊娠すると甲状腺に求められる仕事量が増えるため,妊娠前には正常だった甲状腺機能が妊娠後に変化することがあります.
そのため妊活中に大切なのは,
「橋本病があるかどうか」と「現在の甲状腺機能がどうなっているか」を分けて考えること
です.
今回は,橋本病そのものに焦点を当て,妊活・妊娠との関係を解説します.
1.橋本病とはどんな病気?
橋本病の正式名称は「慢性甲状腺炎」で,自己免疫疾患のひとつです.
免疫は本来,細菌やウイルスなどから身体を守る仕組みです.
ところが橋本病では,この免疫システムが自分自身の甲状腺を標的としてしまいます.
甲状腺に慢性的な炎症が起こり,リンパ球の浸潤や甲状腺組織の変化が生じます.
長期間にわたって炎症が続くことで,一部の人では甲状腺ホルモンを作る能力が低下し,やがて甲状腺機能低下症へ進むことがあります.
つまり,
橋本病=自己免疫による甲状腺の病気
であり、
甲状腺機能低下症=甲状腺ホルモンが不足した状態
です.
両者は関連していますが,同じ意味ではありません.
2.なぜ橋本病は女性に多いの?
橋本病には非常に大きな男女差があります.
海外の公的医療情報では,女性は男性の約4~10倍,橋本病になりやすいとされています.
特に30~50代の女性に多くみられます.
なぜこれほど女性に多いのかについては,完全には解明されていません.
しかし,
- 女性ホルモンと免疫機能との関係
- X染色体に関連する免疫調節
- 妊娠・出産に伴う免疫環境の大きな変化
- 遺伝的な要因
など,複数の要因が関係すると考えられています.
自己免疫疾患そのものが女性に多いことも,橋本病の男女差を考えるうえで重要です.
そのため,ちょうど妊娠・出産を考える年代に橋本病が見つかる女性も少なくありません.
3.抗TPO抗体・抗Tg抗体とは?
橋本病の診断でよく登場するのが,
抗TPO抗体(TPOAb)
と
抗サイログロブリン抗体(TgAb)
です.
TPO(甲状腺ペルオキシダーゼ)は,甲状腺ホルモンを作る過程で重要な働きをする酵素です.
サイログロブリン(Tg)は,甲状腺ホルモンを作り,蓄えておくために必要なタンパク質です.
橋本病では,免疫システムがこれら甲状腺に関係する成分を標的として抗体を作ることがあります.
そのため,抗TPO抗体や抗Tg抗体は,
「甲状腺に対する自己免疫反応が存在することを示す手がかり」
として利用されます.
ただし,
抗体の数値が高い=現在の甲状腺機能が悪い
とは限りません.
これは妊活中の方にぜひ理解していただきたいところです.
4.橋本病でも甲状腺機能が正常な人は多い
「橋本病と診断されたから,甲状腺ホルモンが足りない」
と思ってしまうかもしれません.
しかし,実際にはそうとは限りません.
日本甲状腺学会の診断ガイドラインでは,橋本病のうち甲状腺機能低下症となるのは約1割とされています.
つまり,橋本病があっても,多くの人では甲状腺機能が保たれています.
そのため,
抗体が陽性という情報と,TSH・FT4などで評価する甲状腺機能は分けて考える必要があります.
甲状腺機能が正常であれば,必ずしもレボチロキシンなどによる治療が必要になるわけではありません.
ただし,橋本病では将来的に甲状腺機能が低下する可能性があるため,定期的な検査が重要になります.
5.妊娠は甲状腺にとって「負荷試験」のようなもの
妊娠すると,女性の身体では甲状腺ホルモンの需要が増加します.
妊娠初期の胎児は,自分自身では十分な甲状腺ホルモンを作ることができません.
そのため母体から供給される甲状腺ホルモンが,胎児の発育,特に脳や神経系の発達に重要になります.
甲状腺機能に十分な余力がある女性では,この需要増加に対応して甲状腺ホルモンの産生量を増やすことができます.
ところが橋本病によって甲状腺の「予備力」が低下している場合には,
妊娠前は正常だったのに,妊娠すると甲状腺ホルモンの需要増加に十分対応できなくなる
ことがあります.
この意味で,「妊娠は甲状腺にとって一種の「負荷試験」のようなもの」と考えると分かりやすいでしょう.
※妊娠は甲状腺にとって一種の「負荷試験」のようなもの とは?
健康診断で階段をゆっくり上るだけでは問題なくても,走ってみると息切れする人がいます.同じように、普段の血液検査では正常に見えても,妊娠という大きな負荷がかかったときに甲状腺が十分働けないことがある という意味です.
6.橋本病患者では妊娠後の甲状腺機能チェックが大切
橋本病があり,妊娠前には甲状腺機能が正常だった女性でも,妊娠後にTSHが上昇してくることがあります.
そのため,
「妊娠前に正常だったから大丈夫」
で終わりではありません.
妊娠が分かったら早い段階で甲状腺機能を確認し,その後も必要に応じてTSHやFT4をチェックしていきます.
すでに内分泌内科などで橋本病と診断されている場合には,
妊娠が分かったことを早めに主治医へ伝える
ことが重要です.
7.レボチロキシンを飲んでいる人は妊娠すると増量することがある
橋本病による甲状腺機能低下症で,すでにレボチロキシン(チラーヂンSなど)を服用している女性では特に注意が必要です.
妊娠すると甲状腺ホルモンの必要量が増えるため,妊娠前と同じ服用量では不足する場合があります.
そのため妊娠成立後,レボチロキシンの必要量が増えることは珍しくありません.
妊娠前からレボチロキシンを服用している人では,妊娠初期からTSHなどを確認しながら投与量を調節していきます.
ここで大切なのは,
自分の判断で薬を増減したり,中止したりしないこと
です.
妊娠が判明したら早めに主治医へ連絡し,検査と投与量について相談しましょう.
8.橋本病と流産・早産との関係
妊活中の女性にとって,もっとも気になる部分かもしれません.
甲状腺機能低下症が適切に治療されていない場合には,流産や早産などの妊娠合併症のリスク上昇との関連が報告されています.
一方、少し複雑なのが,
「甲状腺機能は正常だけれど、抗TPO抗体などの甲状腺自己抗体が陽性」
という場合です.
研究では、甲状腺機能が正常であっても甲状腺自己抗体陽性の女性では、流産などとの関連がみられることが報告されています.
ただし,
「抗体そのものが流産を引き起こしている」と証明されたわけではありません.
自己免疫の背景,年齢,甲状腺の予備力など,別の要因が関係している可能性もあります.
さらに注意すべきなのは,
甲状腺機能が正常な抗体陽性女性すべてにレボチロキシンを投与すれば流産を防げる,という明確な根拠も現在のところ確立していない
という点です.
したがって,
「抗TPO抗体陽性=流産する」
「抗体を下げなければ妊娠できない」
と考える必要はありません.
抗体の有無だけを見るのではなく,TSHやFT4,妊娠歴,不妊治療の状況などを含めて総合的に評価することが大切です.
9.ヨウ素は「多ければ多いほど良い」わけではありません
甲状腺ホルモンを作るためにはヨウ素が必要です.
そのため,
「甲状腺に良いなら、海藻をたくさん食べよう」
と思うかもしれません.
しかし,日本では少し事情が異なります.
日本人は昆布,わかめ,海苔などの海藻や昆布だしを日常的に摂取するため,もともとヨウ素摂取量が比較的多い食生活をしています.
特に橋本病では,過剰なヨウ素摂取によって甲状腺機能に影響が出ることがあります.
だからといって,
海藻をすべて禁止する必要があるわけではありません.
注意すべきは,
- 昆布を大量に毎日食べる
- 濃い昆布だしを大量に摂る
- ヨウ素を含むサプリメントを自己判断で使用する
といった極端な摂取です.
妊娠中にはヨウ素そのものが必要ですから、
「不足も過剰も避ける」
という考え方が大切です.
橋本病があり,食生活やサプリメントについて心配がある場合には,主治医に相談しましょう.
10.橋本病と分かったら、妊活を諦める必要はありません
ここまで読むと,
「橋本病があると妊娠するのが怖い」
と感じる方もいるかもしれません.
しかし,橋本病そのものを過度に恐れる必要はありません.
大切なのは,
「橋本病があるか」だけではなく,「現在、甲状腺が妊娠に必要なホルモンを十分供給できているか」を確認することです.
橋本病でも甲状腺機能が正常な女性は多くいます.
また,甲状腺機能が低下していても,レボチロキシンによって適切に管理することができます.
妊活中で橋本病を指摘されたら,
抗体の数字だけを怖がるのではなく,TSH・FT4などを確認し,妊娠前から妊娠後まで継続して甲状腺機能を見ていくこと
が重要です.
まとめ ― 「橋本病」と「甲状腺機能低下症」を分けて考えよう
橋本病は,甲状腺に対する自己免疫反応によって起こる慢性甲状腺炎です.
抗TPO抗体や抗Tg抗体は、その自己免疫反応を知る重要な手がかりになります.
しかし,
橋本病=甲状腺機能低下症ではありません.
橋本病があっても甲状腺機能が正常な人は多くいます.
一方,妊娠すると甲状腺ホルモンの必要量が増えるため,妊娠前には正常だった女性でも甲状腺機能が変化することがあります.
したがって妊活中の橋本病では,
「抗体があるか」
「現在の甲状腺機能はどうか」
「妊娠後も十分な甲状腺ホルモンを供給できているか」
という3つの視点で考えることが大切です.
橋本病と診断されたこと自体を必要以上に恐れるのではなく,妊娠前から適切に検査し,妊娠成立後も医師とともに甲状腺機能を管理していきましょう.

